思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

卒論について

 

今回は自分の中の整理を兼ねて、文系として卒論を書いた流れについてまとめておこうと思います。それなりに苦労しましたし…。

 

2017年度(3回生)

 

4月、研究室の目星をつける。最近は研究室に人数制限ができたみたいですが、この頃はなかったので本当に自由に選べました。心理学の中でも臨床的な方面をやりたかったので、それに比較的近い発達系の研究室を選ぶことにしました。

 

7月、指導教員になってほしいと頼みに行く。許可が降りて研究室が決まりました。

 

8月、初めて研究室に行く。実験というか調査の現場に立ち会わせてもらう。

 

10月、研究室に行くようになる。

といってもまだ研究をするわけでもなく、またうちの研究室は実験を普段やってるわけではなかったので毎日行くような感じではなかったです。3回生は主に調査のデータ入力を割り振られ、同期と手分けして行うことになりました。多分週1〜2、1〜2時間くらいだと思う。めっちゃ緩い。このデータ入力を通してテーマを見つけられたらいいなぁという感じでした。データは使わせてもらえるので(その代償として入力とかしてねみたいな感じ)、自分で取りに行ったりしなくても済むのはいいなぁと思っていました。

 

あとは週1の進捗報告会の参加が義務でしたが、まだこの頃は自分のテーマとかが何も決まっていない段階だったので人の発表を聴いてるだけでした。

 

11月、調査で使う手法の研修を受ける。手伝いとかもした。頑張った。

 

そんなこんなで研究室に入ったわけですが、この夏から研究室とは別件で精神的なしんどさが襲ってきていて、この頃からどんどん鬱っぽくなっていました。

なので研究室に行くことも結構しんどかったりしたんですが、それでも一応持続はしていました。

 

この鬱っぽさは年明けに酷くなり、本当に辛かった。大学のカウンセリングルームに通い始めたのもこの頃でした。

研究どころじゃないって感じだったので、結局3回生のうちは殆ど何もしてなかったです。

 

2018年度(4回生)

 

4月、そろそろ卒論のテーマを決めなきゃいけなくなる。しかしイメージがつかめないし鬱だし、決めてもらった方が楽だなという感じになりました。

ということで半分指導教員に決めてもらう形で方向性を決めました。5月には題目を届けなければいけないのであまり時間もなく、一応の決定を下しました。しかし自分でもイマイチ何をしたい研究なのかがわからなくなっていました。

 

5〜7月、進捗が生まれない。

大学院に進もうと思ってたのですが院試勉強も捗らず(院試は9月)、卒論も書けず、研究としての行き詰まりも感じ、そもそもの鬱もまたぶり返し、さらには体調を崩して(おそらく肺炎と肝臓の炎症のダブルパンチ)、何もかもが無理になりました。

一応研究室では最低限の義務はこなしていたし、調査の手伝いとかもやってはいたんですけどね。院試勉強も同期とやったりTOEICも受けたりしてたので、完全にお陀仏状態ではなかったんですが、院試で外部に行こうとしていた(院試が厳しいやつ)のもあってまあ無理だろうなと。

 

というわけで7月の終わり頃、10月からの1年間の休学を決めました。心と体をちゃんと労って休めて回復する期間にしようと、割と前向きだった気がします。院試が院死濃厚だったのに加えて体が悲鳴をあげたのが決め手でした。

 

休学期間中は鬱っぽさと戦いながら、何もしなかったり旅行したり友達と遊んだりの日々を送っていました。何もかもから解放されてなお結構辛い時期だったので、休学は正解だった。そのままだったら何もかも壊れていた気がします。

 

 

 

ゆっくり休んでいましたが、休学期間が一年とはいえ研究はそれより前から始めないと間に合わないので、どこかで復帰しないといけません。

復帰したのは結局2月。同期の卒論公聴会を聴きに行きました。ここで久しぶりに研究室の人に会い、その次の進捗報告会から参加して復帰ということになりました。

ここから一年で卒論を形にするという意味ではちょうどいいタイミングだったと思います。

 

2019年度(再度4回生)

 

4月、再度テーマを決める。前のテーマはやっぱり無理というか気持ちが乗らなかったので、今度は自分で決めました。

 具体的なテーマは伏せますが、鬱になった経緯から着想を得てのものでした。前のテーマとは違って自分の中から出てきたテーマだったため、取りかかりやすかったです。やはりテーマは自分で決める方が圧倒的にいいですね。

ただこれは研究室での全体の取組からは大きく外れるため、一人でなんとかしないといけないことになりました。勿論研究室の方々には助言や指導を頂きながらにはなりますが。

 

4〜6月、また鬱っぽさが出てくる。一応のテーマ決定のあと、多分何もしてなかった。

昼夜逆転してたり、進捗報告会も無断寝ブッチしたり(寝ブッチは無断に決まってるが)、社会的にダメって感じでした。進捗は永遠の0

生きていることにもずっと悩んでいました。これは結局卒論完成まで続きましたが。

あとアイデンティティを見失いました。モラトリアム……。

 

またテーマを自分の経験を基にして設定したのには、自分の精神的問題解決のためという側面があったこともあり、勉強してると鬱がぶり返してきてしんどくなるといったこともありました。楽になることもあるんですけどね。これがなかなか進捗を生む気にならなかった理由でした。

自分の問題解決のためでなければ勉強する気になれない・卒論として書き上げられる気がしないという感覚もあったのでテーマを変更する気にもなれず、かといっていざやろうとするとしんどい。アンビバレント

今振り返ると、まだ回復途上にあった自分の精神状態からすれば、出来かけていたかさぶたを無理やり剥がすような行為だったように思います。傷はまだ癒えていなかったのでしょう。

 

 たまにやる気が出て図書館で勉強したり、ちょっとだけ進捗もありましたね。一時的ではありましたが、やっただけマシ。少しずつ頑張っていました。

阿部真央さんの「優しい言葉」「Believe in yourself」「それぞれ歩き出そう」あたりにはめちゃくちゃ勇気付けられていました。

 

7月、進捗をようやく生む。

頑張りました。まず大まかに決まっていたテーマを掘り下げ、具体的なテーマに絞り込む作業をやりました。実現可能性というか、「それを検討するにあたってエビデンスをちゃんと呈示できるか?」というところについて、先行研究の論文を探して読んだりしながら検討していきました。

この時期からだと新たに調査を行うのは現実的ではなかったので、先行研究の比較を基にした研究という形を選び、そこから逆算して先行研究(調査)が存在するテーマにする必要がありました。そうこうして具体的なテーマがここで固まりました。

 

8月、進捗報告会がなかったためサボってました。マジで何もしてなかった。ここで院試は諦めて翌年度就活の方向に転換しました。

 

9月、進捗ありませんという報告をずっとしてました。

 

10月、進捗を生むべく動き出す。

具体的なテーマは7月に決まっていましたが、根拠となる先行研究(調査)をどうするのか、という点は未解決でした。さらに具体的に、何について扱った先行研究なら比較に耐えるだけの本数があるか、その中でどの論文を使うか、比較の根拠は、といった点を詰めていきました。この辺から研究室に行く日数が少し増えました。とはいえまだ体調を崩すことも多く、休みながらでしたが。精神面もちょっとずつ悪化、追い込まれていきました。

 

11月、しんどいながらも形を作っていく。

進捗は生まれたり生まれなかったりを繰り返す日々でした。精神状態が良ければ進捗を生んで、悪化したら休んでの繰り返し。でも頑張った。

やったのは先行研究を読んで使えるものを選んでって感じです。あと具体的にどう書いてくか、構成や内容面で指導教官に相談してOKをもらいました。骨組み的なのは割と固まりつつありました。あとは書くだけ、とはいえそれが大変。

 

ここまでが卒論をどう決めていったかで、ここからは本当に卒論を書いてく過程です。

 

11月末までに第一稿を指導教員に出さなきゃいけないと言われていたのですが(卒論の締め切りは1月末)、終わりませんでした。諸事情により11月30日に帰省をすることになり、新幹線の中でも書き実家に帰ってからも書いていたのですが終わらず。先生には一日遅れますと連絡し、翌日も書いて、まだ終わらず、結局書き上げたのは12月2日の2時とかでした。

 

なんとか書き終えたものの修正しなければいけない点は多く、特に構成を大幅に変更する必要性がありました。ただ終わりは見えてきたという感じで少しホッとしました、がこれが気の緩み。

 

構成の変更や修正を一旦終えたのが12月16日。指導教員に見てもらう前に研究室の研究員の方や先輩に見てもらったのですが、内容面で修正しなければいけない点や加筆が必要な点が多数あり、それらをまた調べなければいけなくなりました。辛い…。

 

 

年内には修正を終えたかったのに、結局終えられず。これは自分の心の弱さというか、取りかかるまでに莫大なエネルギーを必要としてしまうんですね。そのせいで無為に1日を終えることが多かったように思います。

 

年が明けて、研究員の方に見てもらえる日(1月6日)が来てもまだ書き上げられず。この日を逃すと見てもらえるのは二週間後になってしまいそうだったので出さなきゃいけなかったんですけどね…。これも心の弱さ。

 

旅に出たかったので6日中には書き上げたかったのに6日さらに7日も無為に過ごしてしまい、自己嫌悪。その状態でようやく取りかかれるようになり、8日の早朝に修正を終えられました。半日もかかっていないわけで、それをもっと前にやれたらなぁと思うわけです。

 

その後焦ってしまい研究員の方に見てもらう前に指導教員に出してしまったんですが、ストップが入り、20日を待ってから指導教員にということになりました。この辺は精神的に不安定で、ちょっとのことでも落ち込みました。辛かった。

20日、研究員の方に見てもらいながら相談。基本的には全てOKをもらい、細かい点だけ修正して先生に提出しました。

21日、先生から受けた表現についての指摘数点を修正。あとは構成上必要ないのではと言われたところを削除。OKをもらえたので、これで完成になりました。

 

27日、提出。終わった…。

 

2月5日、公聴会。要は卒論の発表です。基本的には教員達は優しいので大丈夫と言われていましたが、やっぱり緊張。質疑応答も怪しさが溢れましたが耐えました。

 

ということで卒論が終わりました。

無事単位認定もされ、卒業できました。良かった…。

 

取り組んでる間は鬱だしでめちゃくちゃしんどかったですが、今になると達成感があります。もうやりたくないけど。