思い出の向こう側

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歌と音楽

私は音楽を聴くのが好きだ。

だけど、音楽というより歌が好きなんじゃないか、と思う。

 

音楽を聴くと言っても、普段聴いているのはJ-POPが殆ど。洋楽はほぼ聴かないし、クラシックやジャズなどのように歌が入っていない音楽も聴かない。嫌いというわけでもないけれど、あまり心に響かない。わからない、という表現が一番しっくりくる。

 

私には音楽的素養があまりないので、音楽としての良し悪しを語れない。今まで色々好きな歌について書いてきたけれど、音楽的なことは書けず、結局歌詞について書くしかなかった。音楽的なところを言語化できないということは、その良さをちゃんと感じ取れないでいることでもあって、それが故に歌のない音楽や、歌詞のわからない洋楽を聴いていないのかもしれない。

では分かるようになれば、音楽的な素養が身につけば、そういった音楽を好き好んで聴くようになるのだろうか。なんとなくだけれど、その問への答は否だという気がしている。

 

J-POPと一括りにしたけれど、その中でも聴かないアーティストはたくさんいる。その聴かない側の共通点は、というと、歌が響いてこないようなところがある。ノリが全てで騒げればいいとでもいうようなものだったり、音楽ではあるけれど歌ではないなと感じるようなものであったり。

好きではないものの具体例を挙げるのはあまり好きな行為ではないのでしない。

 

私にとって、聴くor聴かないの大きな境界線は、歌詞がわかるかどうかにあるのだろう。もっと言えば、音楽が先にあるのではなく、言葉が先にあるものを好んで聴いている。そんな気がしている。

まず感情や想いがあって、そこから生まれてくる言葉があって、それが詞となって身体から出てくるような歌が好きだ。心が叫んでいるような歌。

 

ちゃんと言葉を伝えようとしてくれる歌は好きだけれど、そこを怠っているような歌は好きではない。ただ、歌詞が意味わからなくても、その言葉がメロディーに綺麗に乗っていれば好きだったりもする。そういう意味では、ちゃんと言葉を丁寧に扱ってさえいればいいのかもしれない。

 

音楽的に良かったとしても、言葉を軽視するような音楽を好むようなことはないんじゃないか。そんな気がしているのである。それにやはり声が聴こえてこない音楽は退屈で、その感覚はあまり変わりそうにない。

結局のところ私は曲に言葉を求めていて、だから音楽というより歌が好き、ということなんだろう。

 


(追記)

この間放送されていた関ジャムの松本隆特集を見て、私が言語化できていなかったところが取り上げられていたのでここに書き残しておく。

松本隆さんの詞について、言葉にリズムがある、と評されていた。言葉のリズム。それが言葉を丁寧に扱うということの一つの側面のような気がした。

リズムと、物語と、意味と、想い。これらが揃っていたら良い歌なんだと思っている。

 

また、今の日本の音楽は詞先が激減しているという話があった。

松本隆さん曰く、

「人類の歴史的観点から考えると、まず思いがあって、思いに続く言葉があって、それにメロディーを乗せてきた。そうやってポップスが生まれる歴史へと繋がってきた。」

「日本では、外国の真似をしてサウンド重視。まずかっこいいサウンドを真似して、それに合うメロディーをつけて、それから詞をつけてっていう逆の手順を踏んでいる。だから日本独自のものにはならない。」

ということだった。そうなんですよね。やっぱり歌というのは言葉が先であってほしいな、と改めて感じた。