思い出の向こう側

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就活記

就活、なんとか終わりました。

 

終わったのは10月中旬とかなので若干今更感はあるけど、今後のためにもどういう風に就活していったかを書いとこうと思います。受けた会社を一社一社ちゃんと書くとめちゃくちゃ長くなりそうだしバレてもアレなので大雑把に。

 

 

  2月。

卒論を終えて一息ついていた私は就活を一切せずのんびりしていた。まあなんとかなるかなと思っていたし、3月1日から頑張ればいいやと思っていた。

 


 

そもそも卒論を書き終えた上で卒業しないという選択肢もあった。どっちみち2021年4月から働くつもりだったのもあって、新卒として就活できるのはありだった。この一年京都の下宿に住み続けるつもりではいたから、本当にどっちでもよかった。 

 

卒業しちゃう場合:とっとと卒業して楽になれる&学費がかからない、その代わり学生証(身分証として)や学割が使えない&新卒じゃなくなる

卒業先延ばしにする場合:休学使えば多分1/4年分の学費(13万くらい)で学生証や学割使える&学内のカウンセリングルームやキャリアセンターが使えるし新卒で就活できる、その代わり金はかかるし卒論含めて調整が面倒、研究室からも完全に開放はされない

 

という比較をして、結局卒業することにした。決め手は金と、解放されたい気持ちだった。

そもそも就活を舐めていたのでまあなんとかなると思っていたし、だいたい”大学7年目の新卒者”と”6年で卒業した既卒者”で評価が変わるかって言ったらそんなことはないんじゃないかと思っていたのもある。どっちにしろアレだと思われそうだし。

 先延ばしして学生の特権使えた方が良かったなぁと今は少し思うけれど、まあ正直どっちでもいいな。新卒者のみ募集のところもあったけれど大多数は1〜2年くらいなら既卒でもOKだったから、就活にもそこまでマイナスではなかった。実際には既卒だから落とされた、なんてこともあるかもしれないけれど、それだったら7回生でも落とされそうだし。

 

 というわけで既卒での就活、スタート。


 

 3月。

コロナの影響で合説が軒並み中止になった。合説に行って雰囲気を掴んで就活をスタートしようと思っていたので出鼻を挫かれた。この時点でスタートダッシュに失敗してる感はあったけど、まあ舐めていたのであまり焦ってはいなかった。みんな普通はもっと早めに始めてるっぽいと知ったのは後になってからだった。まあそもそも卒業してから就活スタートしてる時点でだいぶ遅いんだけどね。

 

対面での説明会等は全て中止になっちゃったので、WEB合説を見たり、興味ある会社にエントリーしたりし始めた。

 

何を基準にして会社を選んでいたか、というと、この頃は

①自分が特に好きな業界(ラジオ、鉄道、レコード会社や音楽系)

②自分の好きな土地で働ける(実家のある東京か、京都や広島香川)

の二つで絞っていた。

それでn放送とかsミュージックとかs鉄道とかを受けた。多分10社くらいにエントリーしたと思う。

まだこの頃はコロナがここまで長引くとは思っていなかったし、まだ就活を舐めていたので、一個くらいは受かるやろと思っていた。まあ舐めすぎですね。

書類は3つか4つ通った。思ったよりも落とされてちょっとショックだったけど、今振り返るとまあ当然かなという感じ。

 

で、他の業界に興味はなかったし、一個くらいは受かるっしょ的な気持ちでいたので特に追加でエントリーはしていなかった。まあ手持ちが全滅したらそのあとで考えるかくらいのスタンスだった。このスタンス自体は割と最後まで貫いたな。

就活が終わるまで、私は同時並行では5〜6社くらいの選考を受け続けていた。全滅寸前は1か2みたいなタイミングもあったけど。他の人はもしかしたら10社20社を同時に受けたりしていたのかもしれないが、私はキャパオーバーしそうだと思ってセーブしていた。まあやる気がなかったのもある。

 

コロナの影響で選考は遅れに遅れて、書類通ったところの面接があったのは結局4月〜5月上旬くらいだった。全部Web面接で、下宿で受けた。それで全て落ちた。

まあこれも今振り返れば落ちて当然かな、という感じだった。面接に慣れていなくてめっちゃ緊張してたし、ちゃんと答えられていないことも多かったし。あとは受けていたところは割と人気かつ募集人数も多くはないところばかりなので、まあこんな感じなら落ちるわなぁという。

 

5月ごろ。

全滅。

だけど他の業界で働くモチベも低く、なんともやる気がなかった。ぼんやりとweb説明会見たりしつつ、でもここに行きたいとも思わないしなぁ…と思ってやめるのを繰り返していた。あまりにもやる気が出なかったので一度実家に帰ったりした。精神的にも一人で頑張るのがキツくなってきていたのもあった。実家でも少しずつエントリーしてたと思うけど、正直行きたいなと思う会社は数えるほどしか見つかってなかった。

この帰省の時に、親から公務員試験を勧められた。最初は正直気が進まなかった。このタイミングから公務員も並行させるのはまあ無理だろうと。そもそも就活スタート時点で両立は持たないと判断して民間一本にしていたのもあったし。なのでこの時は受けるのをあまり考えていなかった。

 

実家から戻った5月下旬、どうにも行きたい企業は見つからず膠着状態にあった。

 


 

この頃から、企業探しの基準を変えた。具体的には、

 

①土日祝休みで年間休日が最低110、できれば120日ある

②残業が多くない、朝の始業が早くない、シフト制じゃない

③広島や香川などの瀬戸内地方(あるいは京都、妥協で東京)で働ける

④ある程度は興味のわく業界

⑤営業は嫌

の5つを満たすところを探すようになった。

ラジオ局とか今まで受けていたところを落ちて、本当にその業界で働きたかったんだろうかということを再考した結果、まあもういいかと思ったのが大きい。ここで方針を変えて、広く探すようにしだした。

 

肉体的・精神的にしんどい仕事はしたくない、できればデスクワークがいいなぁとか、車の運転が必須のとこは嫌だなぁとかも考えていた。免許持ってないし、あんまり運転が向いている気もしないから。車に関しては、就活を進めるうちにまあ妥協してもいいかという気分になったのだけど。地方だとどうしても必要になりそうだしな。

あと転勤はできればない方がいいとか、そういう条件もあった。これは私にとって勤務地が条件として結構上位だったからでもある。好きな土地で働きたいという気持ちがまず優先するので、それを取り上げられたらなんのために働くのか…となりそう。

 

そして私は文系だったのだけど、文系の募集って営業職がほとんどだなぁという印象も持った。正直営業は絶対やりたくないと思っていたので、選択肢が少なかった。総合職のあるような大きい企業はもうこの時期募集してないところが多かったし、事務は給料安いしなぁみたいなことを考えていると、資格やスキルを何も持ち合わせていない私は何をして働けばいいのかが分からなくなってきた。 


 

そういったことを考えて、未経験や文系でもOKと謳っているIT企業を中心に受けることにしていった。

IT系ならば条件の1や2を満たすところが多かったし(逆に地方の製造業とかはその辺が満たされなかった印象)、ある程度興味は持っていたし、地方にも結構ある。ただ未経験だから向き不向きはわからないし不安はあった。だけど他の業界よりは色々とマシかなぁと思っていたので少しずつ受けていった。まあ別にIT系に絞ったわけでもなかったけど。

この頃受けたのは電子カルテのパッケージ製作の会社とかだったな。手応えはあったけど落ちた。まあそんなもんだ。

 

 
6月。

ここで大きな決断をした。地方公務員試験を受けることにしたのである。

ここまで就活がうまくいっていないこと、やりたい仕事もあまりなかったこと、公務員なら希望条件を割と満たしていることが理由だったかな。

あとは試験で点を取る能力が評価されるのが個人的には楽だった。就活オンリーだと正直何を頑張ればいいのかもわからないし、先が見えなくて辛かったけど、公務員試験なら勉強を頑張ればいいという単純な目標ができるというのも良かった。

 

ちょうど地方上級の締め切り間近だった。どこの自治体を受けるかと同時に悩んだのは、事務職か心理職かという選択だった。

自治体的にはまあ広島か香川か、それぞれ県なのか市なのかというところだったけど(日程的にどれか一つしか受けられない)、まあ正直どこでも良かった。

心理職の方が一応倍率は低いし、専門試験でまだ点が取れる分受かりやすいんじゃないかと思ったけど、そもそも心理の道(大学院進学)を諦めて就活にしたしなぁ…とか、仕事としてしんどいよなぁとか色々考えて、結局事務職にした。この選択はすごく悩んだ。

 

あと、これは就活開始時点から考えていたことではあったけど、11、12月くらいまで内定もらえない状態が続いたら、2月の院試を受けて心理の道に戻ろうかなぁと思っていた。まあ受かるかどうかは置いといて。その時はさすがに地元に戻って地元の院に行くつもりだった。ということで、一応心理の道は選択肢として残っていたのもあったから迷っていたという感じ。

 

そんなこんなで色々悩んだ挙句、h市(これ伏字にする意味あるか?まあいいや)の事務職を受けることにした。受けると決めてから一次試験までは1ヶ月を切っていた。

正直教養試験はなんとかなるだろうと思っていたけど、専門は法学、経済学あたりを大学で全然学んでこなかったので本当に自信がなかった。1ヶ月間勉強はしたけど、そもそも基礎知識もないから全然覚えられないし、あまりにもわからないからやる気も減るし。教養も知識が結構抜けていたので覚えなおさないといけないしで、無謀だったと悟った。普通は無理。まあでも勉強をするという目に見える目標ができたので、日々に彩りが戻った感覚があった。受けると決めて良かったなぁと思いながら勉強していた。

で、半分諦めながら一次試験を受けた。思ったよりも解けて、多分教養は9割くらい、専門は4〜5割くらいは取れた手応えだった。で、通ってた。

二次は7月中旬くらいにあって、面接&小論文だった。一応対策をある程度していったけど、面接慣れしていなかったし(ここまでの就活での面接はすべてオンラインだったので、この試験が初めての対面面接だった)緊張していた。面接はある程度こなしていたし小論も書けたつもりだったので、通ったなと思っていた。けどここで落ちた。まあしょうがないですね。

この記事で最後に書いていたのはこのh市を落ちた時のことでした。この頃はブログを書くことで傷を癒したりしてたな。

 


 

並行して就活も一応していた。この時期は広島での就職に心が傾いていたので、広島県のサイト  学生のための「ひろしま就活応援サイト“Go!ひろしま”」 - ひろしま就活応援サイト「Go!ひろしま」 | 広島県  で企業探しをしたりしていた。だけど魅力的な会社は多くなくて、いいなと思ったところを数社受けて、落ちた。まあうん。あとこの時期は公務員に気持ちが傾いていたので就活のやる気はちょっとなかったかな。

 

8月ごろ。

この頃になると大量のお祈りが積み重なって、本当にしんどくなってきた。

 なので、お祈りされたら美味しいもの食べるってことを自分に課すようにした。ダメージの軽減と、お祈りされることのメリットを増やしてたくさん数を打てるようにしたことを兼ねていたのだけど、これは多分良かった。まあそれでもお祈りされるのはしんどいんだけど。

あとお盆はどこの企業も休みだったのでこっちも休めて良かった。

 

9月ごろ。

この頃もまだ民間の就活の方はなかなかうまく行っていなかった。IT系を中心に瀬戸内地方で受け続けていたんだけど、一回も面接を通らなかった。

この頃から対面での採用活動が再開しだしていた。私が受けていたところでいうと、説明会から面接までオンラインでやる(最終だけ対面とか)ところと、最初から全部対面でやるところが半々くらいだった。

ということで広島まで行く機会が大幅に増えた。始発の新幹線で広島に行き、説明会やら面接やら試験やらを午前と午後で一個ずつ受け、夕方に帰るみたいなのを毎週のようにやった気がする。金がめっちゃかかったので、この時ばかりは学割が使えたらなぁとか考えていた。交通費出してくれるところもあったけど、大半は出してくれなかった。まあ広島の企業は基本広島の大学生をターゲットにしてるししょうがないね。

で、全部落ちた。面接を一回も通過できなかった。

この時受けていた会社で、一つめっちゃ行きたいなぁと思ったとこがあったんだけど、それを落ちたのが結構ショックだったな。

あとは広島県のU・Iターン職業紹介コーナーを利用したりした。色々話を聞いてもらって何社か紹介してもらったんだけど、割といい選択肢を提示してもらえたので利用して良かった。まあ結局受けなかったりしたんだけど。

 


 

そしてこの頃から京都の会社も受けるようにした。対面が増えてきたので、近場の方が楽だと思ったからでもあるし、広島の方の手応えがなくてちょっと諦めが入ったからでもある。

 

京都ではこの時期3社を受けた。IT系が2つに、製造系が1つ。興味がある範囲で選んだらこうなった。どれも中小企業。説明会やら一次面接やらを受けたのが9月上旬。

そして3社とも最終に進み、2社から内定を貰った。最終面接が大体9月下旬、内定貰えたのが大体10月上旬だった。

で、結局製造系のところに進むことにしました。そこは説明会の段階から自分に合いそうな空気があったし、なにより仕事内容を楽しそうって思えたので、多分これで良かったんだろうなと思っている。手応え的に通る気もしていた。けど内定はとても嬉しかった。誠実さとかを評価してくれたらしい。この頃だともう面接では気負わず飾らずの姿勢がだいぶ楽に取れるようになっていて、全部正直に答えてた気がするのでそれが良かったのかな。

あまり詳しく書くとアレなのでここはぼかしておく。

 


 

公務員も引き続き受けていた。

広島県のo市が8月に一次をやるというので受けに行った。筆記はSPIだったのでほぼ満点くらいの手応えだったけど、集団面接でちょっと失敗したなぁと思っていたのでまあ落ちたなと思っていた。この集団面接、お題(私は「あなたのオススメのもの」だった。「あなたの相棒について」だった人もいて、私はそっちじゃなくて助かったと思った。相棒ってなんだよ)を提示されて、1人1分でその場でスピーチするというものだけだったのだけど、これになんの意味があるのか今でもあまりわかっていない。公務員に即興性ってそんなに必要か?

ところがなぜか通っていて、最終面接に進むことになった。アレで通るなら、集団面接はマジでヤバイ人を弾くだけのものだったのかもしれない。

最終は9月中旬とちょっと間があいた。プレゼン面接(自分を漢字一文字で表して説明しろってやつだった)と普通の面接の二本立て。まあ正直受かるとは思っていなかったんだけど、面接当日に会場に行ったら欠席者がたくさんいて、これはワンチャンあるなぁと思った。面接の手応え的にもこれで落ちるならしゃーないと思っていた。

で、合格発表が10月中旬にあったのだけど、落ちた。補欠にも入らなくてショックだったし、あと欠席だと思っていた番号が補欠のところにあったり色々とマジかーとなった。欠席じゃなかったとかかもしれないけど、ちょっと腑に落ちない。そんなことある?

一次合格が30人くらいで、多分午前午後夕方の3部に分けられて集合かけられてたんだけど、私の行った部では出席が私含めて2人だったし。

まあこの集合のシステムとかが私の勘違いかもしれないしな。番号順じゃなかったとか、もっと細かく集合を分けてたとか。コロナ禍だし。あとは受け答えで地雷踏んだとかで自滅したとかかもしれないし。なのでまあ一応納得はしている。

成績開示とかしてもいいんだけど、現地に2回くらい行かないといけないっぽいので面倒くさすぎるしいいや。他の市は郵送でやる制度があったりするんだけどね? その辺もちょっとなんかね……。

 

 

それは置いといて。京都の会社から内定もらってからこの合格発表までは3週間くらいあったのだけど、その間は長崎旅行したりしつつ、もし受かってたらどっちに行くかをずっと悩んでいた。気持ち的には公務員よりだったけど、結局落ちたので悩み損だった。マジで損した。

 内定もらってた会社には発表後即電話して入社意思を伝えた。受諾の期限を1週間伸ばしてもらってたし、待ってもらえたことには感謝しかない。

 

一応公務員試験もまだ他で残ってたりしたんだけど、まあ内定貰えたからやめた。最初から公務員志望なら拘って続けたかもしれないけど、そうではなかったから。あととっとと解放されたかった。

 

 終わり

ということで就活が終わりました。結果的には納得できる進路になったと思う。まあ入ってみなきゃわからないところでもあるんだけど、内定式の感じからも先輩社員の感じからも多分なんとかやっていけそうな気がしている。これが与えられた道だと思うので、とりあえず進んで行こうと思っている。

 

 終わった今、振り返って思うことは、

  •  たまたまかもしれないけど京都では面接を通るのに広島では通らないので、まあこういうもんなんだと思った。やっぱり縁もゆかりもない土地での就職はなかなか難しいなぁと感じた。面接では当然ながら毎度「なぜ広島?」って聞かれるし。好きだから以上にないんだけど、それじゃ信頼してもらえないんだろうな。カープファンで〜とか、そんな話もしたんだけどね。もっとうまく説得力のある表現ができたら良かったかもしれないが、それは今の自分には無理だった。あと若干排他的な土地柄だったりするのかな。まあこの辺はこっちの被害妄想的でもある。少なくとも現段階では広島に縁がなかったな。
  • あとは好きな(憧れと言い換えてもいい)企業を受けると、落ちたあとそこがあまり好きでなくなるというか、負の感情を持つようになるので、あまり良くなかったなぁということも思った。o市とかちょっと嫌いになりかけてるし。よくないね。ただまあ憧れに挑戦するのも大事だろうから難しい。この辺はもう少し精神的に大人になれていたら割り切れるんだろうか。
  • 傷つくのを恐れずたくさん受けることは大事だなぁとも思った。マッチングの機会を増やす意味でも、場慣れする意味でも。結局私は30〜40くらいエントリーして、書類通ったのが半分くらいで20くらい受けたのかな?数える気はしないので体感だけど。もう少し受けても良かったかなと思っている。最後の方は面接でもあまり緊張せずに臨めるようになっていたので、場慣れしとけばなぁとかはちょっと思う。マッチングの意味では、その会社に自分が合うかどうかを面接を通して向こうに判断してもらう、というくらいの気持ちで受けた方がいいんじゃないかと感じた。自分を作って向こうに自分を合わせに行くんじゃなくてね。そう思ったら面接が気楽になった。正直に無理のない自分を面接で見せて、それが合えば通してくれるだろうし合わないなら落としてくれるんだから。それで合うと判断された会社なら無理なく働けるだろうし。第一に無理なく働きたかったので。ただこう思えていたのは、最悪就職できなくても大丈夫、大学院行けばいいやとか、そういった余裕を持てていたのが大きいかもしれない。就職できなかったら人生終わりみたいに考えていたら、多分焦るし自分を作りに行ってたと思う。
  • ESの段階で合わない会社も結構あった。そういうところは結局合わないだろうと判断して受けない、というくらいでいい気がしている。もちろん受ける意味もある(やりたい仕事だし、とか)ので難しいところだけど。例えば、『自分を表すハッシュタグを三つ考えて』とか『自分を表す写真』とか、そういうのは個人的には合わなくて書くのに苦労したし結局書類で落ちた。だったら無理して受けなくてもいいや、というのは一つの選択肢だろう。あと個人的に嫌だったのは、『自分の幸福度を幼少期から今まで個人史とともにグラフにしろ』みたいなやつ。挫折経験とかを書いて欲しいんだろうなぁとは思うんだけど、これ例えばイジメとか虐待とか思い出したくない過去がある人を想定してなくて、あまりにも配慮がないよなぁと思った。ここも書類で落ちたんだけど、まあ受からなくて良かったと思ってる。
  • ES含めて非合理的に思える採用フローをしているところも結構あった。ESと履歴書を同時に提出しろ、しかも両方手書き指定みたいな。阿呆らしい。あと手書き指定でそれをスキャンしてメールで送れとかね。これはまだわかるけど面倒すぎる。阿呆らしいと思ったタイミングで受けるのやめたりした。
  • 7月ごろにWEB説明会受けたIT系のある会社は、説明会を新入社員1人にやらせていたのだけど、入って3ヶ月の新人1人(それもこの御時世だからそんなに出社してないんじゃないか)にやらせるのってヤバイ会社だなと思って受けるのをやめた。案の定、社内の様子とかの質問に答えられてなかったし。そりゃそうだ。そういう事もあったので、説明会にもちゃんと力を入れてるところを選ぶようにはしたな。
  • 対面での活動が始まったのは夏頃だったから、全部クールビズで通せたのは楽だった。結局就活では一度もネクタイを締めなかった。圧倒的に楽。まあ周りはみんなフルスーツだったけど。暑くなかったのかな…。まあみんなはなんだこいつと思って私を見ていたのかもしれない。
  • 落ちた理由がわからないのは苦痛だった。何を直せばいいのかわからないから。結局はマッチングなので合わなかっただけかもしれないけど、そうはいっても落とされると苦しいし。合わなかっただけと言い聞かせてはいたけど、もしかしたら直した方がいいところがあったかもしれないもんね。そういう意味でも誰か見てくれる人がいた方が良かったな。大学のキャリアセンターでもいいし、友達や家族でも。就活中はずっと孤独な戦いでしんどかった。卒業してから就活だと周りに仲間が全然いないのが欠点ですね。
  • 一次面接を受け、「通りましたから履歴書とか改めて送ってください〜次最終面接です〜」って連絡を寄越し、その通りに書類を送ったら「ごめんやっぱりなしで」って言ってきた広島県の某企業、マジで許せんと思った。切手代返せ。プラスで手間賃も寄越せ。しかも理由が「体育会系じゃないから」だったのだけど、そんなことは一次面接で分かってるわけで…。多分人事の人と上の人との意思疎通ができてないからの事態だろうし、そんな会社に入らなくて良かったと思ったけど、まあ流石にショックだったな。
  • そういう腑に落ちない落とされ方をしたところに対しては、そんなクソみたいな会社に行かずに済んだと捉える方がいいなというのは学んだ。こっちに非があるわけじゃないので反省する意味がない。
  • 地方公務員試験は一次はなんだかんだ通るなという印象だったけど、面接は民間と同じようなものだったので落ちるっちゃ落ちる。もっと前から面接対策はしといた方が良かったかな(まあ時間的に無理なんだけど)。ただ受けたのは全部広島県内なので、例えば京都とかだったら違うかもしれない。基本地方公務員は地元の色が強そうだし。あと地元の小平市は年齢制限で受けられなかったので南無という感じ。受けたかった気持ちはあったけど。あと一次でSPIだけみたいなところが結構あって、民間志望の人も割と受けやすくなってるなぁと思った。ただ公務員試験は結果出るまでが長いので、ちょっと民間の就活とスピードが合わず苦労する部分はあった。
  • SPI以外のWEBテストを使ってる民間企業もあった。正直SPIはちょっと慣れさえすればほとんど満点近く取れる気がするんだけど、他のでは慣れてないからか全然ダメって感じにもなる奴もあった。勿論SPI並みに簡単なのもあったけど。説明がわかりにくくて理解しにくかったり、表現が曖昧で捉えにくかったりするのがあって、自分の能力不足かなぁとも思ったけど、アレは問題が悪いんじゃないかという気持ちの方が今でも強い。多分アレ今解いても全然ダメだと思う。あとは私は空間把握能力が低いので、そこを中心に据えたテストは割とお手上げだった。向き不向きがあるなぁ。
  • 適性検査(性格検査)はどこの企業を受けてもやらされた。公務員でも。だいたいどこも同じ質問なので苦痛だったな。SPIなら毎回丸々同じだしつまらないもん。それとアレはただの質問紙なので、質問の意図がわかっちゃうし自分をよく見せようと回答することが割とできちゃうから、どれだけ意味があるんだろうかと思っていた。質問紙は統計的に処理するのに意味があって、個々人を判断するのにはあまり意味がないと思うんだけどな。それとSPIの参考書を立ち読みしたら、回答は企業の空気感に合わせて変えろみたいなことを書いてあって目眩がした。こんなのがまかり通っているんだからやっぱり意味ないじゃん…。まあそれで適正が合わない会社に入っても不幸だと思うし、面接でボロが出たら逆効果だし、そもそもそんなんところで嘘をつくのは阿呆らしいので私は全部正直に答えていたけど。その辺でしれっと嘘をつけるような人が得をするシステムはもうちょっとなんとかならないのかな。ならないか。この世はそういうもんだ。こう答えたほうが受けがいいんだろうなぁと感じながら回答するあの時間は虚無だった。
  • オンラインが中心になって、説明会や面接へのアクセスが格段に良くなったのは助かった。現地に行くとなると予定の調整だったりが大変で交通費も馬鹿にならないところ、オンラインでは家で全部済むし時間が被らなければ1日で何件もこなせたりするので楽だった。選択肢は増えた気がするので、地方住みにとってはありがたかった。ただ実際に仕事現場を見られたりする意味では、現地での説明会とかの方が良いなと感じた。そこで働くイメージは持ちやすいし。
  • オンライン面接は苦手だった。パソコン内臓のカメラを使っていたので、カメラを見るとモニターが見えないしモニターを見ると目が合わない、というのが結構嫌だったな。あまりちゃんと伝わらないような気がした。これなら対面の方が楽だと思った。けどこれは個人差がありそう。
  • 就活サイトはマイナビリクナビを使っていた。他も使った方が良かったかもしれないけど、自分のキャパをオーバーしそうだしそこまでのやる気はなかった。他には県の就活応援サイトで探したりした。あとマイナビジョブっていうエージェントも使ってみたけど、送られてくる求人がマジで冴えなかった。担当の人がハズレだっただけかもしれないけど。その点広島県のU・Iターン職業紹介コーナーの人は当たりだった。マジでピンポイントに興味を持てる求人を見つけてくれた。結局受けなかったのでちょっと申し訳なかったな。
  • Open Workで口コミ見たりはしたけど、アレは基本辞めた人(会社が合わなかった人)が書き込んでるのでバイアスがかかった情報だという印象を受け、あまり参考にはならなかった。明らかなハズレを避けるのには一応役立ったけど、やっぱりその会社に対するモチベを下げるだけになりかねないので、使った方がいいかは微妙。
  • ESや面接で、「入社後どう成長したいか」「5年後10年後にどんな社員になっていたいか」みたいな質問を受けることは結構あったけど、これが個人的にはすごく苦手だった。正直、入ってみなきゃわからなくないか?って思っていた。それと、数十社も受けていく中で、全部の会社に対して入社後のビジョンを描くのは相当負担だった。私は刹那的な生き方しかできない人間なので、そもそも5年後のことなんて考える気が起きない。そんな人間が無理矢理未来予想図を描かされる。未来予想図を描くということは、その将来に期待を抱くということでもある。でもすぐに、お祈りという形で裏切られる。だったら期待なんかしたくないのにね。叶わないだろう夢を何度も見させられ、そして何度も破られる。この繰り返しは本当にしんどかったな。就活なんてもうしたくないなと思う大きな理由でもある。

とりあえずそんなところかな。また思い出したら書き足すかもしれない。

 

4月からは京都で社会人です。頑張ります。その前にあと4ヶ月精一杯楽しんでおきます。