思い出の向こう側

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言葉

今、心が重たい。

理由はなんとなくわかっていて、仕事のこともあるし、心にさざなみが残るような出来事がいくつかあったりしたからだと思う。私はあまり強い人間ではないので、ちょっとのことでもなんだかしんどくなっちゃったりする。特にいくつか重なったりすると、一つ一つはちょっとだとしても深く落ち込んじゃう人間だ。なかなか回復もしてくれないし、生きてるのがつらいなぁという気持ちにすぐ入り込んでしまう。

 

だけど、今書きたいのはそのことではなくて。この心の重たさをうまく言語化できていないことを書きたくなった。

今、「心が重たい」と表現している。ただそれはその表現が今の自分を表すのにピッタリだからではなくて、他に知らないから使っているのに過ぎない。本当は何か違うなぁとも思っている。

なんて表現すればいいのだろう。そんなことを考えながらずっと自分に向き合っている。この心の重たさは幾度となく経験しているので、毎回悩んでいることになる。そして毎回わからないままに終わる。

鉛を飲み込んだよう、とか、深く沈み込んでいく、とか、そんな感じなんだろうか。だけどそれらも、これだ!となるほどにしっくりくるわけでもない。この呼吸が浅く息がしにくい感じ、胸のあたりに確かに感じるズシンとした重さ、喉を通らないような感覚、舌の感覚が鈍くなって微かな痺れを持つ感じ、そして鼓動をどう表せばいいのだろう。

砂を噛んだような、という表現はどこか近いような気はするんだけど、ちょっと違うんじゃないかなんて思ってしまう。今持っている感覚にはざらざらしたものがあるわけではなくて、ただただ深く重たい感じだからだ。苦さとかもない。

味がしない、という表現もあるけれど、別にそんなことはないしなぁと思う。

この辺で私が思い浮かぶ表現は止まってしまう。語彙の少なさが理由なんだろうな、とも思う。

 

そこで、「心が重い 表現」でググってみた。出てきた中で目についたサイトがこれだった。

だるい・気分が重い・倦怠感の表現・描写・類語|気分が晴れない・落ち込む|ネガティブな感情:感情表現の一覧

色々ある。いいな、これ。何かを表現するときにこれを参考にし続けるのは自分の中の感覚を軽視する動きにつながるので、程々にしようとは思うけれど、自分に合う表現を増やしていく作業はしていこう。

「土の中に埋没していくような気分」とか、「どす黒い鉛のような重い気持ち」とか、あるいは「鏡の中でまた鏡を見るような、奥へ奥へ引っぱられてる重苦しい夢のような気持ち」とか。それらが今の自分を的確に表しているわけでもないけれど、いい表現だと思う。引き出しにしまっておこう。

「黒ずんだ重い液体のようなよどみを心に感じる」とかは今に近いような気がする。だけど何か違うような気もする。それは自分の中から出ている表現じゃないからかもしれない。

 「倦怠感があり、どこにいても、現実が、自分からは少し遠くに感じられた。」とかは好きな表現だな。

結局、今の自分の心をどう表せばいいのかはわからなかった。だけど書いてる中で少しだけ軽くなった。今はそれだけで良いのかもしれない。

 

自分の中にある感覚の言語化が苦手なのは子供の頃からだった。小学生の頃、軽く怪我をしたりとか、あるいはお腹が痛くなったりとかで保健室に行くことが結構あった。精神的にしんどい日が多かったからか、特にお腹が痛くなるのはたくさんあった。 その度に、「どう痛いの?」と訊かれるのだけれど、私はいつもどう答えていいのかがわからなかった。「ズキズキ痛い」とか「ジンジン痛い」みたいな表現がどうにもわからなくて、いつも困っていた。だいたい、痛みという感覚を擬音で表現するのってなんかおかしいんじゃないかって思っていた。「ヒリヒリ痛い」とかだったらわかるので、皮膚表面の痛みならなんとか言語化できていたかもしれないけど、お腹の痛みのような内面の痛みはお手上げだった。

この痛みが「ズキズキ」と呼ばれるものなのか、それとも違う表現をされるものなのか、その違いはなんなのかーーそういったことがわからないまま、とりあえず答えていたような気がする。多分、保健室の先生とかの大人たちに「ズキズキ痛い」ってどういう痛みなのかを尋ねたことはあったと思うけれど、その人たちの表現する痛みが自分の感覚と合っているものなのかは結局わからなかったんじゃないかな。

そんなことを思い出した。

そういえば昔、体調を崩した時、呼吸が苦しいような胸の苦しさを「心が痛い」って表現して家族に笑われたことがあった。確かに普通は「胸が苦しい/痛い」とか「息が苦しい」とかだと思うけれど、あの時の私は実際に「心が痛い」状態だったんじゃないか、なんて今ふと思う。表現とはきっとそういうものなのだ。